第14話 【ペストバスターズ番外篇】人に歴史あり、誕生に秘話あり ペストバスターズ創世記を知る ミスターXの独白<前篇>

時は1990年代。バブルに湧き、
ドリカム、ミスチル、B’z全盛の時代

「ペストバスターズ」、そうカッコよく名付けたのは、ここ最近の話。
とどのつまり、害虫獣駆除をする事業は今から約30年前に始まった。

 

今回は、この事業誕生に携わった男・ミスターXの話を聞いてほしい。

誕生の3年ほど前、ミスターXこと中島千尋は、東京に居た。
糊の利いたワイシャツにネクタイ、スーツ姿。
東京での生活に憧れて九州・佐賀から上京し、大学を受験。
そのまま東京で大手住宅メーカーへの就職を決めた。

住宅メーカーを志望したのは、「夢を売る仕事だと思ったから」

販売担当となった中島は、いわゆる「住宅展示場」で
自社の自慢の家をモデルハウスとして構え、接客にあたっていた。
人生に最高の舞台を提供する仕事は、喜びだと思った。

しかしいつの頃からか「喜びだと思っていた」に変わった。

高度成長を遂げた日本は、いけいけどんどんの活性をみせ、
住宅は飛ぶように売れていた。

会社としても「とにかく売れ」が命題であり、命令となった。
中島は、それが嫌だった。
(売るべきではない客にも売れというのか)
そう憤りながらも、置かれた環境に従い、
調子のいい営業トークでその気にさせ、客の首を縦に振らせた。

やりきれなかった。
そんな日が続き、中島は思い描いていた夢とのギャップが埋められず
会社を辞めた。

 

鹿児島県出身のミュージシャン、長渕剛さんが、
代表曲である『とんぼ』の歌詞に、こう書いている。
♪死にたいくらいに憧れた 花の都“大東京”

東京に憧れて上京した者の挫折と苦悩を描いた、
あの曲とかぶる。

 

夢が持てなくなった若者が、
流れに身を任せてたどり着いた場所

会社を辞めた中島は、東京にいる意味を完全に見失っていた。
家賃のために、喰うために、布団で眠るために、働いた。
その仕事はもはや、何でもよかった。

そんなどん底の日々は約3年続いたという。

 

(このままじゃいけない)という自分が変わるきっかけとなったのは、
奇しくも母親の病状悪化の報せだった。

父親から「母さんの具合が悪い。佐賀に帰ってこい」の連絡。
本来なら東京での仕事に脂が乗っている時期であろうが、
定職に就いていない中島は身軽だということが歯痒い。

思えば、父の背中に憧れて、それに追いつけ追い越せという気概で出てきた東京。
ところがどっこい、夢に破れ、日陰者のように生きている今の自分は、
明日の食べる物にも四苦八苦している。
惨めであり、心の重い帰郷となった。

その後、母の介護を献身的にやったことは、
ある意味で自分への戒めと両親への償いだったのかもしれない。

思いも虚しく母は他界し、再び中島の心は空虚となった。
そんな折、中島が帰郷したことを知った幼少期の後輩から突然連絡が入る。
「先輩、佐賀で再就職を考えているんだったら、ぜひうちに来てくださいよ」

その“うち”と呼ぶ会社は、産業廃棄物処理をする会社だった。
「ぜひ、やらせてよ」
そんな気軽なリズム感で、中島は産業廃棄物の会社で仕事をすることにした。

 

「どん底」からの「底辺仕事」。
それでも紳士たる身だしなみは忘れなかった

産業廃棄物の仕事から3年が過ぎる頃だっただろうか。
会社は新たな事業に舵を切ることになった。
害虫駆除の事業、つまりペストバスターズの発足だ。

 

中島は心の中で(なんでも来い)と思っていた。
ゴミの処理、害虫駆除──仕事として、誰が憧れるものか。

間違ってもなりたい職業の上位にランクインすることなどはなく、
むしろ忌み嫌われる“汚く”、“危険”な仕事という底辺の部類だ。

しかし中島という男は、根底に「正義」があるのだろう。
(夢を売るなどという青臭いことではなく、
もっと現実的な、人々が安心できる暮らしに貢献しよう)
そう決意したという。

夢を売ると希望に満ちていた住宅メーカーの時と同じように、
新たな事業に、遅ればせながらの青春ならぬ“盛春”を感じていた。

中島は、東京で大手住宅メーカーに勤務していた時はスーツ姿であった。
“一端の男”というには十分な出で立ちでビジネスをしていたことだろう。

しかし今は、スーツから作業着に変わった。
ゴキブリを追いかけ、いつでも床に這いつくばう態勢がとれるようにだ。

それでも中島は、できるだけシミ汚れのない状態を心がけ、
自ら毎日アイロンがけをし、ヨレのないパリッとした作業着で客先に出向く。
せめてものプライドであり、礼儀であると心得ているのと同時に、
これが中島の戦闘服だからだ。

 

ヒーロー見参……。
されど課題は山積みだった

「ゴキブリ屋さん、こっちも見てほしいんですよね」

依頼を受けた客先では、名前ではなく「ゴキブリ屋さん」などと呼ばれた。
(中島って名前があるんですけどね)
そう思い歯を食いしばりながらも、努めて爽やかに「はい」と答える。

まだまだ混沌としている業界。
当時この手の仕事は、職人気質の喧嘩っ早い人も多かった。
業者の対応も悪ければ、客からの扱いも雑だった。
中には、弱みにつけこんだ悪徳業者もでかい顔ができた時代。

その悪循環が“当たり前”のこととして横行していたようだ。

 

中島はこれを、きちんとした組織にまとめあげたいと強く思った。
サービス業としての本質を正し、会社組織としてのあるべき姿にしたい。

とはいえ、始めた当初は技術も知識もない。
むしろ何から手を付けたらいいか、課題も山積みだ。
しかしわかっていることといえば「害虫獣」という、
衛生面において人々の健康に悪影響を及ぼす可能性と戦うということだ。

中島は、この組織作りに人生を賭けようと思った。

開始当初にいたメンバーは、産廃会社に居た人からの流れ。
しかし今は、“はえぬき”も含め、
底辺の仕事はおろか、むしろ「かっこいい」と思える精鋭揃いだといえる。

ここ数年、住宅街に居るはずのない獣が姿を現しているとニュースになることが多い。
彼らがやってくるには、地球環境の変動などの理由があるからではあるが、
人を襲ったり、住宅を破壊したり、
はたまた彼ら自身が持っている菌が悪さをするという悪影響もあり、
彼らとの共存は難しい現状がある。

さらに、昨今はノロウイルス然り、コロナウイルス然り、
サバイバルの時代に突入し戦うべき相手も多い。

 

だからこそ中島は、このミッションに命を燃やしたいのだ。
まずは自分を育て救ってくれた地元・佐賀の人から。
その後に、この業界全体の質を向上させ、全国の人のために。

中島千尋というひとりの男が、
約30年の時を賭けて作り上げてきた害虫獣駆除の仕事は、
いま「ペストバスターズ」としてヒーローを気取っても許される時代になった。

しかしまだまだ、底辺仕事からの一歩に過ぎない。
(こんなもんじゃない)
中島は、自身が思い描く理想のヒーロー像を今も追い求めている。

戦うべき相手は2億年以上も前からこの地球上を生きてきた生物。
そう簡単には片付く仕事ではない。

だからこそ、なくてはならない仕事であり、人物たちであるのだと、
中島自身が一番誇りに思っているにちがいない。

 

つづく

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